帝釈峡遺跡発見2 寄倉岩陰遺跡

寄倉岩陰遺跡は帝釈峡入り口近くの帝釈川左岸にあり、帝釈遺跡群のなかでは最大規模の岩陰遺跡であり、我が国屈指の大遺跡です。
昭和38年から寄倉岩陰遺跡が発掘開始され、4次にわたる調査が行われました。
① 縄文時代の年表ができた
地表から深さ約7mにわたり13の文化層が見つかりました。
この文化層はほぼ縄文時代の全般にわたっており、縄文早期にあたる12層から繊維を含んだ土器が出土しました。それぞれの層から出土した土器や石器、動物の骨などから、1万年も続いた縄文時代の年表が分かるようになりました。
② 縄文時代に共同墓地
昭和40年の調査では岸壁南寄りの二地点から人骨がまとまった状態で22体、24体と見つかり他の場所と合わせると50体以上が見つかりました。
これらの人骨は別の場所に埋葬されていたもので、この寄倉の約2m四方の範囲に集積された状態で見つかり、改葬・二次葬であると思われます。
推測ですが、縄文時代の後期末の縄文人は先祖を敬う風習があったと考えられ、この場所は先祖といっしょに暮らすことにより精神的な力を得ることができる聖なる場所だったのではないでしょうか。
寄倉遺跡は、大きな岩陰でどこからも見ることができる場所であるため、当時はみんなが集まる交流の場所であったとも考えられます。
 縄文人は、棍棒を持った未開人のようなイメージを持っていましたが、遺跡のことを知り現在に通じる高い文化を持った人達だったと考えが変わりました。

寄倉岩陰遺跡

 

 

小田格一郎先生の手記に寄倉遺跡発掘当時の様子が書かれています。(帝釈文化)

「30㎝位掘ったら大型の土器が出てきて調査員の顔が緊張した。
雨が激しくなる中で、さらに2mくらい掘ると素晴らしい出土遺物が出て万歳が叫ばれた。調査は活気に満ちたのである。」

と記述されています。当時の発見の熱を帯びた様子が伝わってくるようです。

2022年03月15日