時悠館展示物の紹介

 ◆切手の写真の解説
 帝釈峡遺跡群発見60周年を記念して記念切手が発行されました(発売開始は令和4年3月25日)。
 切手には土器や石器などの写真が使われていますが、それらの解説文を掲載しますのでご覧ください。
 これらは庄原市帝釈峡博物展示施設時悠館に展示されています。

 帝釈峡の自然に今もある遺跡を見て、そして時悠館に来てこれら遺跡物をご覧ください。
                     [写真、説明文は時悠館提供]


(1)無紋平底土器【帝釈峡馬渡遺跡】

 無文(むもん)平底(ひらぞこ)土器(どき)は草創期(そうそうき)(1万2千年以上前)の土器。初源期の土器のなかまです。
 獣(じゅう)毛(もう)や植物など繊維を練りこんでいます。重くて運ぶことが難しい土器が普及したことは、移動中心の暮らしから定住性のある暮らしへという、人類史の大きな画期を物語っています。

 

 

 

(2)押型文土器【帝釈峡馬渡遺跡】

 押型(おしがた)文(もん)土器は早期(約1万年前)の土器。西日本の広範囲で作られました。  押型文は、細竹などに格子(こうし)目や山形、楕円形などの文様を彫刻し、これを「原体(げんたい)」として土器の表面に押し転がしてつけた文様をいいます。同様に、縄を原体として転がした文様が「縄文(じょうもん)」、細縄をよった撚糸(よりいと)を原体として転がした文様が「撚糸文」です。

 

 


(3)尖頭器【帝釈峡馬渡遺跡】

 尖頭器(せんとうき)は、旧石器時代の流れをくむ小型の石槍(やり)で、一緒に弓矢の矢じりも出土しました。今より寒冷だった縄文草創期のある日、狩人がこの岩陰でキャンプし、残していった物です。石槍の小型化や弓矢の使用は、ヤベオオツノジカなど更新(こうしん)世(せい)の大型獣から、イノシシ・ニホンジカ・ノウサギなど中・小型獣へと、主な狩猟対象獣が変化していった様子を示します。

 


(4)カワシンジュガイ【帝釈峡馬渡遺跡】

 カワシンジュガイは、土器で煮炊きした食物の残滓(ざんし)とみられます。殻の破片を放射性炭素年代測定した結果、「12,080±100y.BP」、つまり今から約1万2千年前という年代値が得られています。
貝や骨など、普通の遺跡では残らないものが、当時のままの姿で残されている点こそ、アルカリ性の石灰岩の中に残された帝釈峡遺跡群の最大の特徴です。

 

(5)里木式土器【寄倉岩陰遺跡】

 寄倉岩陰遺跡の調査を通じて、中四国地方の縄文土器の移り変わりが確かめられました。

 里(さと)木式(ぎしき)土器は、中期(約5千年前)の里木Ⅱ式土器とよばれるもので(里木Ⅰ式は前期)、倉敷(くらしき)市の里木貝塚を標識(ひょうしき)遺跡とします。撚糸文と沈線文によって土器の表面を華やかに飾ります。

 

 

(6)中津式土器【寄倉岩陰遺跡】

 中津(なかつ)式土器は後期(約4千年前)の土器。こちらも倉敷市の中津貝塚を標識遺跡とします。

  土器の表面に縄文と沈線文によって文様をえがき、その縄文の一部を磨り消して仕上げる「磨消(すりけし)縄文(じょうもん)」の技法を特徴とする土器のなかまです。

 この土器の頃、寄倉岩陰は帝釈地域の縄文人たちの聖なる墓域として営まれていたようです。

 

(7)籾圧痕土器【帝釈名越岩陰遺跡】

 籾圧(もみあっ)痕(こん)土器は、晩期(ばんき)(約3千年前)の土器の裏底に、稲の籾の痕(あと)が残されていたもので、本州でみつかった初例とされます。土器をつくる作業場に籾殻が散らばっていたことを意味しており、中国山地でも縄文晩期までには、お米という穀物(こくもつ)が知られていたことを示す重要発見でした。縄文時代の穀物栽培を経て、弥生時代の水田稲作が成立していく過程を見いだせます。

 

(8)弥生土器【帝釈名越岩陰遺跡】

 弥生(やよい)土器は、弥生中期(約2千年前)の塩町(しおまち)式土器と呼ばれる中国山地の弥生土器です。弥生時代の人々によって、この岩陰で何らかの祭祀(さいし)が行われていたものとみられます。
 帝釈峡の岩陰の利用は、旧石器・縄文時代にとどまらず弥生時代を経て、古墳時代さらには古代・中世へと、遥かなる時代をこえて継承された地域文化といえます。

 

(9)縁帯文土器【白雲洞洞窟】

 縁帯(えんたい)文(もん)土器は、白雲(はくうん)洞(どう)洞窟(どうくつ)で採集された後期(約4千年前)の土器。口(こう)縁部(えんぶ)を文様帯(もんようたい)で飾ります。

 帝釈峡の観光地として名高い白雲洞をはじめ、「鬼の唐門(からもん)」、「鬼の岩屋(いわや)」などからも縄文時代の遺物がみつかっています。
 自然の営力を崇敬したとされる縄文人たちが、人智を超えた帝釈峡の景観の中に身を置き、何を想い、何を願って過ごしていたのか、興味は尽きません。

 

(10)帝釈峡博物展示施設時悠館

 帝釈峡博物展示施設時(じ)悠館(ゆうかん)は、帝釈峡・帝釈峡遺跡群のビジターセンターです。
 帝釈峡遺跡群は、55遺跡が知られ、半世紀を超えて調査研究が続けられてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年03月24日